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加越能育英社とは?


明治12年(1879年)、石川県下の有志6名が発起人となって石川・富山両県の子弟の学費を援助することで、志望の学業を遂げさせ国家社会のために有為な人材を作ろうとしたのが始まりでした。この6名の提言が加賀前田家の心を動かし、さらに教育に理解のある加越能(かえつのう:加賀、越中、能登:現在の石川・富山県)関係者の援助を得て、育英資金をバックアップするシステムを構築しました。加越能育英社は、日本で最も古い民間育英事業団体であると言われています。
なお、平成24年4月に「公益財団法人加越能育英社」となり、平成27年4月に(公財)石川県学生寮と統合しました。

  ※加越能育英社の業務・財務等に関する公開資料

◇ 現在の公益財団法人加越能育英社の事業

  1.石川富山明倫学館の運営


  2.畠山奨学金の給付


  3.優秀塾生の顕彰(畠山育英賞の贈呈)



◇ 加越能育英社と石川富山明倫学館の功労者

6名の匿名の旧加賀藩士
明治維新の政府は、薩摩、長州、土佐など西国雄藩の人達が重用されました。加賀藩は、百万石大名として長年、徳川家を支えてきたため、新時代の移行に立ち遅れました。これを慨嘆した旧藩士6名は後進の人材育成のために発起人となって、金十八円余を積み立てました。これが契機となって加越能の三州ばかりでなく、全国から基金が寄せられ、育英社が誕生しました。

前田利嗣(第15代当主)と前田利為(第16代当主)

明治15年旧加賀藩主前田利嗣は、育英社の趣旨に賛同し、二千円(現在の三千三百万円余)を寄付し、育英奨学金の基金となりました。利嗣の子、前田利為は明倫学館誕生に際し、現在地を購入し、建設用地として無償提供しました。

林 賢徳
明治40年林 賢徳により、郷土の青年達のために学生寮の建設を提言し、自ら多額の出資をする一方、同志を募り明倫学館を竣工させました。

畠山一清
昭和24年加越能育英社の社長に就任し、戦災で焼失した明倫学館の再建に尽力しました。加越能育英資金中止直後、昭和35年に畠山奨学金を創設しました。荏原製作所ならびに畠山文化財団を創設、貴族院議員などにも就任しました。


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